空に歌えば――平和・人権・環境(15)

風に聴き、地に歌う
海勢頭豊


月桃ゆれて 花咲けば
夏のたよりは南風
緑はもえる うりずんの ふるさとの夏

月桃白い 花のかんざし
村のはずれの石垣に
手にとる人も 今はいない ふるさとの夏

摩文仁(まぶに)の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は青い空
誓いの言葉 今もあらたな ふるさとの夏

 海勢頭豊は沖縄在住のミュージシャン、平和音楽家だ。
 与那城町(現うるま市)平安座島(へんざじま)生まれの海勢頭は、一九六二年ごろからギターを独習し、作曲、編曲も独学しながら、琉球大学ギターアンサンブルを創設した。一九六七年、RBCホールで第一回リサイタルを開いて、音楽活動を本格化させていった。一九七〇年、活動の拠点としてライブハウス「パピリオン」をコザ市(現沖縄市)に開いた。パピリオンは一九七三年に那覇市に移転し、二〇〇〇年にいったん閉鎖したが、二〇〇二年に「エル・パピリオン」として再開し、二〇〇五年に閉店した。パピリオンは海勢頭をはじめとする沖縄ミュージシャンの活躍の場となった。
 「平安座島に生まれて、戦後の沖縄を見続けてきたなかで、どうしてこんなに美しい海があって、美しい世界があるのに、人間は戦争するんだろうという疑問に対して自分で答えを探してきたんです。もうひとつは、破壊されていく環境を見つめながら、どうして人間はこうまでして文明に無防備に追随していくんだろうという疑問がだんだん出てきて、そこで壊されているのは自然環境だけでなくて、人間の精神まで破壊されているなと。そうすると本来、琉球という平和な国があったとされているけれど、その琉球の心というのはもっと美しく、もっと清らであったはずだという愛惜の思いがあって、それを取り戻してみたい」。
 海勢頭の音楽ジャンルは多彩だ。「さとうきびの花」「喜瀬武原(きせんばる)」「月桃」など単一の楽曲が代表作として知られるが、それだけではなく総合芸術としての音楽世界を構築してきた。
第一に、「交響詩」である。「交響詩ニライカナイの歌」(一九九八年)、「交響詩ひめゆり」(一九九九年)などがある。
 第二に、「オペラ作品」である。沖縄オリジナルのオペラだ。オヤケアカハチを題材にした県民オペラ「太陽(てぃだ)の反逆」(一九八四年)、伝説の美女マムヤを題材にした「マムヤ」(一九八七年)、護佐丸の孫で、尚泰久の娘であり、阿麻和利の妻となった百十踏揚(ももとふみあがり)の波瀾万丈の生涯を描いた、沖縄復帰二〇周年記念オペラ「百十踏揚」(一九九二年)などがある。
第三に、「バレエ作品」である。一九八三年に、F.G.ロルカの戯曲「血の婚礼」を作曲、ギター録音で初演した。他に琉舞作品「恩納ナビーの恋」などをグランドバレエ公演用にオーケストラ編曲するなど、精力的に活動している。
 第四に、映画音楽である。一九八九年には、アニメーション映画『かんからさんしん』の音楽を担当し、一九九五年には『GAMA――月桃の花』、一九九八年には『MABUI』の音楽および制作に携わった。
 しかし、従来のジャンルごとに分けて説明しても、海勢頭の音楽世界を理解することはできない。海勢頭の音楽世界は徹頭徹尾、沖縄の歴史と現実に貫かれている。
 たとえば、パピリオンの開店を、全国各地につくられたライブハウスと同じように説明してしまえば、その意義がわからなくなってしまう。一九七二年の「沖縄返還」に向けた国際政治と沖縄民衆の闘いの中での音楽活動の意味を想像しながら見ていく必要がある。パピリオン開店直後に「コザ暴動事件」が起きている。米軍支配と米軍人による犯罪、基地被害に抗議する沖縄民衆のエネルギーが丸ごと海勢頭の音楽世界に詰まっている。
「喜瀬武原」は、一九七三年から七六年、米軍による県道一〇四号線越え実弾演習に対する抗議行動、実力阻止行動から生まれた。刑事特別法により逮捕者が出て、実力阻止行動は中止されたが、一九七七年、喜瀬武原闘争に集中的に現れた沖縄の悲劇を歌った海勢頭は平和運動の只中に躍り出ることになった。喜瀬武原は闘争の現場で歌い継がれた。
「さとうきびの花」(一九七四年)でも、沖縄の祈りを歌う。

黒潮に浮かぶ 緑の小島は
若者たちの夢の跡
何もかもが 豊かな日々は
かもめの群れと 唄声と さとうきびの花

海鳴りの音も 忘れてしまったよ
遠い昔の戦争の
何もかもを なくした日々は
女の涙と 焼け石と さとうきびの花

七色のさんごの 海は輝けど
若者たちは帰らない
何もかもが 待ちわびた日々は
母の祈りに 咲きそろう さとうきびの花

 沖縄から日本を撃ち、沖縄も日本も含めた平和な世界を願う海勢頭は語る。
 「絶対平和を尊い思想として祈り続ける大きな和の島を差別し、沖の縄で縛り続けるヤマトは、大和を名乗る資格はまだないのではないでしょうか。ニライカナイに大きな和の心を持ち帰り、平和の国造りを約束した古代の海人(うみんちゅ)たちの活躍の跡が、私の故郷である島々に数多く残っています。その何もない岩場を聖地として、神女たちは約束を待ち望んでいるのです」。

海はまぶしい 喜屋武(きゃん)の岬に
寄せくる波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情 ふるさとの夏

六月二三日 待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく ふるさとの夏

香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏


喜瀬武原(キセンバル)

喜瀬武原 陽は落ちて 月が昇る頃
君はどこにいるのか 姿もみせず
風が泣いている 山が泣いている
みんなが泣いている 母が泣いている

喜瀬武原 水清き 花のふるさとに
風がやってくる 夜明けにやってくる
風が呼んでいる 山が呼んでいる
みんなが呼んでいる 母が呼んでいる
  闘い疲れて ふるさとの山に
君はどこにいるのか 姿も見せず

喜瀬武原 空高く のろしよ燃え上がれ
平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
みんなの歌声は はるかな喜瀬武原
闘い疲れて 家路をたどりゃ
友の歌声が 心に残る

 

月桃(げっとう)

月桃ゆれて 花咲けば
夏のたよりは南風
緑はもえる うりずんの ふるさとの夏

月桃白い 花のかんざし
村のはずれの石垣に
手にとる人も 今はいない ふるさとの夏

摩文仁(まぶに)の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は青い空
誓いの言葉 今もあらたな ふるさとの夏

海はまぶしい 喜屋武(きゃん)の岬に
寄せくる波は変わらねど
変わる果てない 浮き世の情 ふるさとの夏

6月23日 待たず
月桃の花散りました
長い長い 煙たなびく ふるさとの夏

香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏

マスコミ市民2008年3月