空に歌えば――平和・人権・環境(14)

最後のフォークソング
    まよなかしんや


明日になれば 明日になれば
ふるさとへ帰ろう
明日になれば 明日になれば
沖縄へ帰ろう
我ったがわらびの頃にあそんだ
あの山あの海が
我ったぁを呼んでる 我ったぁを呼んでる
沖縄へ帰ろう
   ――「沖縄に帰ろう」より

 まよなかしんやは「沖縄フォークシンガー」として生涯をかけて平和を歌い続けてきた。オリジナル第一作「アカバナー」は一九六七年の作品だから、まさに四〇年になる。
 一九六七年当時はフォークソングの全盛時代である。アメリカではベトナム反戦運動、黒人解放の公民権運動、女性解放のフェミニズム運動が盛り上がり、学生や労働者が自由、平等、平和を求めて立ち上がっていた。ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリー、ジョーン・バエズ、キングストン・トリオなどが表舞台に登場した。日本でもフォーククルセイダーズ、岡林信康、高田渡、高石友也、五つの赤い風船などが活躍していた。
 高校生の時、グループ・サウンズ、ベンチャーズ、ビートルズに憧れ、ギターを手にしたまよなかしんやは、ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーのプロテストソングの本当の意味を知って衝撃を受けた。差別に反対し、平和を求める歌と闘いの世界に出会ったのだ。ベトナム反戦は沖縄の青年を直撃した。生まれた時から米軍基地があり、それまで反戦や反基地の意味を十分理解していなかったが、ベトナム反戦は沖縄の現実そのものだった。
 一九六七年、琉球大学生の時、「伊江島の土地を守る会」に出会う。一九五〇年代の米軍基地建設のための土地取り上げに反対した「乞食行進」の闘いを知った。阿波根昌鴻(当時六六歳)に非暴力平和を学び、野里竹弥の「陳情口説」を教わる。体中に戦慄が走る体験だったという。その熱い思いを歌ったのが「アカバナー」である。以来、「命どぅ宝」を心に刻み沖縄フォークソングの最前線を走り続けてきた。
 その間、本土のフォークソングはニューミュージックとなり、個人(孤人)主義の歌やラブソングに覆われていった。ラブソングはもちろん必要だし、素晴らしいラブソングも多い。しかし、かつてのメッセージソングの社会性がなくなり、「私小説ソング」が流行っては忘れられていく時代になった。沖縄フォークソングを牽引してきたまよなかは、民衆による民衆のためのフォークソングのあり方に最後までこだわり続ける。「真のラブソングはプロテストソングなのだ。戦争が愛を破壊するのだから」と。

フォークソングが ボクにおしえてくれた
フォークソングが ボクにおしえてくれた
一七才のボクに 人生をおしえてくれた
歌うということは 足元を見つめることだと
一七才のボクに 生き方をおしえてくれた
愛と平和と自由を求めて生きよと
    ――「フォークソングがおしえてくれた」より

 まよなかの四〇年の歩みをたどる余裕はとうていないので、いくつかエポックメイキングな挿話を見ておきたい。
 一九七二年の「沖縄返還(日本復帰)」後、全国各地を飛び回ってコンサートを開き、各地の平和運動家と交流したが、まよなかに多大の影響を与えたのは、アイヌ民族、在日外国人、被差別部落出身の若者たちとの出会いであった。沖縄人としてのアイデンティティを見つめなおす契機となったという。現在、米軍基地再編のなかで基地のグアム移転も浮上しているが、グアムの先住民族チャモロ人に基地を押し付けるなと発言しているのも、自然なことだ。
 沖縄戦1フィート運動も見逃せない。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍による猛烈な爆撃、殺戮と自然破壊、日本軍による住民虐殺や集団自決問題など、沖縄戦の実相を伝えるために1フィート運動が展開された。まよなかは1フィート映画とギターを手に全国を訪れた。

泣ちゅなチビチリ泣ちゅな
泣ちゅなチビチリよ
ミルク世願いてぃ
泣ちゅなチビチリよ
  チビチリガマ戦さ世
  語てぃたぼり
  ワラビ ウマが世に
  物語てぃたぼり
   ――「チビチリガマ」より

 一九九五年の「少女暴行事件」は反基地闘争の転機となった。戦後「第三の島ぐるみ闘争」と呼ばれ、米軍基地撤退・縮小を求める沖縄民衆の運動と、基地再編・強化を狙う日米両政府の対峙が続いている。まよなかは、サラリーマンとフォークシンガーの二足のわらじをやめ、ギター一本に絞って活動に専念するようになった。
 今、日米両政府は辺野古新基地建設をもくろみ、辺野古・大浦湾の埋め立てに向けた作業を続けている。普天間基地を名護の辺野古に移転する計画だ。名護市民をはじめ沖縄の反基地運動、環境保護運動は、基地建設反対の闘いを粘り強く続けている。

命の海を つぶしてはならない
世界に繋がる 辺野古の海
✳命の海に 基地は要らない
命の海に 杭は打たせない
オジー オバーの海 御万人の海
命はぐくむ 大浦湾
   ✳くりかえし
海がめ ジュゴンの海 サンゴの海
ニライカナイへ つづく辺野古の海
   ✳くりかえし
戦争ならん  戦やならん
戦のための基地は要らない
   ✳くりかえし
命の海を 壊してはならない
未来を開く 命の海
      ――「いのちの海に杭は打たせない」より

 辺野古の闘いは本土のメディアではおざなりにしか伝えられない。日本政府やアメリカ政府の発表だけは大々的に報道される。メディアは日米政府と一体となって基地建設を沖縄に押し付けようとしているかのようだ。こうした状況の中、基地建設阻止の闘いは非常に大きな意義を有している。第一に、非暴力平和の闘いを長期にわたって実践している。それは住民自治の闘いでもあり、自然と人間の共生のための挑戦でもある。第二に、基地建設が当初の予定通りに進んでいたなら、辺野古はイラク民衆虐殺の拠点とされるはずだ。沖縄の闘いはイラクの平和を求める民衆の闘いと繋がっている。
 二〇〇三年一月、米軍によるイラク攻撃本格化の二ヶ月前、まよなかはイラク戦争阻止と人民連帯のためにバグダッドを訪問して歌った。
 「基本的に世界はひとつだと思ってます。将来の世界は国家などなくて、人類は皆、肌の色も宗教もイデオロギーも超えて、お互いの違いを認め合い、差別も戦争も貧困もない人々の暮しを実現できると願っています。」

ひとつの青い空 ひとつの青い海
ひとつの生命 かけがえのない生命
もしも愛しているなら
もう一度やってみよう
わったぁはあきらめないよ
なあちゅけーん 友ぐぁたあ

あなたは見たことがあるかい
ニライの海を泳ぐジュゴンの群を
人は昔の昔から
自然の愛に包まれて生きてきたよ
      ――「ひとつのいのち」より

 まよなかしんやは、この九年間毎月、満月ライブや、一五日のジュゴンの日コンサートに加えて、年に一度の国際連帯平和月見会でもある満月祭の世界各地同時開催を呼びかけ、仲間たちとともに大浦湾で開催してきた。二〇〇七年一一月の第九回満月祭には、沖縄から金城繁、会沢芽美、すべりだい、安里正美、ヨッシー&ジュゴンの家、知念良吉、知花竜海、大工哲弘、海勢頭豊など、本土からショピン、えびのから、みにまむす、そしてハワイ出身のジーン玉城&BENZAITENなどが参加した。若手ミュージシャンの参加も目立つ。平和を求める若手ミュージシャンたちに向けて、まよなかは今、「最初のフォークソング」を歌っているのかもしれない。

眠れぬ夜 浜に出て
夜空を見上げれば 満天の星と月
波の音に合わせて 満月(つき)にうたえば
星も海も森も ともに歌い踊る
  ✳ウォーウォーウォーうたおう 満月にうたう歌よ
ウォーウォーウォー光となって この闇を照らせ

まるい宇宙 まるい地球
まるいお月さん まるい心
闇夜を照らす満月よ いつまでも輝け
生きとし生けるものに 光をはなせ
   ✳くりかえし
     ――「満月にうたう歌」より


ウェブサイト
「まよなかしんやウルマ通信」

アカバナー

アメリカの花も 沖縄の花も
土をたよって 咲くのです
アメリカの花も 沖縄の花も
花はやっぱり美しい
✳アカバナー アカバナー 咲いとくれ
 サンゴにしっかり咲いとくれ
 アカバナー アカバナー 咲いとくれ
 いつまでもこの島に咲いとくれ

大和の土にも 沖縄の土にも
花はえらばずに 咲くのです
大和の花も 沖縄の花も
花はやっぱり美しい
  ✳くりかえし

日照りが来ても 台風が来ても
花は花は 咲くのです
おまえの花も おれの花も
花はやっぱり美しい
  ✳くりかえし
 
唐の世から 大和の世
大和の世から アメリカ世
アメリカ世から また大和の世
いちぬ世になりば沖縄世
いかなることがあてぃん
沖縄のアンマーターよ ニセーターよ
たげにチバラナヤー 明日に向かって
  ✳伊江島タッチューよ いつまでも天をさし
    この空 この海 この島を見つめておくれ
    ガジマルよ! デイゴよ! アカバナーよ!
    いつまでも沖縄の土に深く根をはっておくれ
  ✳アカバナー アカバナー 咲いとくれ
    アメリカにもヤマトにも踏まれても
    アカバナー アカバナー 咲いとくれ
    いつまでもこの土に咲いとくれ


マスコミ市民2008年2月